母の決断により実家を手放すことになってから
私は毎日実家で捨てる作業に明け暮れていました。
母は体が動かなくなってきてから
掃除も片付けも面倒になり、
整理もままならず
最後の方はほとんど何も出来ていなかったことが
家の様子からわかりました。
私も子どものことで忙しくしていたので
外で会ってはいたけれど
実家にはほとんど足を踏み入れていなかったので
(リビング止まり)
まさかこんなことになっているとは
夢にも思いませんでした。
来客があるからリビングだけは片付けていたのね。
父の遺品整理の時のこと見てなかったの!?
(父の遺品整理は身重の私が
ほとんど一人でやりました。
二度と思い出したくないほど大変でした。)
なんて言いたくなったけれど
でも最初の頃は毎日夢に父が出てくると言って
さめざめと泣いていたし(本当に仲が良かったから)
その間は気が紛れるだろうと
息子と遊んだりしてもらっていたので
疲れちゃって片付けどころではなかったかもなと
思い直しました。
そこからが大変。
一番困ったのは
銀行の通帳やカード類と紙の領収書等の処分!
これ、いつから取ってあるの!?
ってくらい束になっていて
ご丁寧に年代別になっていた。
合併前の銀行時代のカードも出てきて
なつかしいな〜としみじみ。
もっと古いのだと太陽神戸三井銀行など。
延々とシュレッダーにかけながら処分。
カードはハサミでカット。
父もそうだったけれど
母も何でもストックしていたので
履いていないキレイな靴下
着ていないヒートテック
がたくさん出てくる!
洋服は大事に直しながら着ていたので
そんなになかったけれど。
他にはボールペンがたくさん出てきた。
貰い物もたくさん!
毎日手帳をつけ、メモも取っていたので
確かに使ってたかもしれないけれど
これはありすぎでしょ!
母一人だからと油断していました。
5年以上経つと
こんなに物で溢れちゃうんですね。
寂しかったってこともあったのでしょうか。
携帯電話も父の分まで出てきました。
あれっ?父の物、まだ残ってたのね。
昔なつかしいガラケーを見つけて
私は盛り上がってしまった!
auを使っているのですが
2003年の

このデザインが斬新で好きだったな〜
いつも見せてもらってました。
たまに脱線しながらも
こうして物を処分していきました。
つづきます。
※下書きのストックから更新しています。
母との時間もあとわずかなので、皆さんのブログを
見に行けませんがよろしくお願いします。